banner

第五話 水着の二人

谷村志穂

 コンペルームで、互いの健闘を讃え合う。
 というより、今日の杉山道生は道化役だ。
「ついに、除夜の鐘をやってしまいました」
 大叩き、百八回も叩いてしまった。ゴルフ歴十六年の営業マンには洒落にならないスコアである。
「そんな時だってあるよ。なに? それより、昨日、ゼロ番ホールで百獣の王をやっちゃったとか?」
 営業先の部長は、今日はこれまでになく調子がよく、上機嫌だ。ゴルフで使う親父ギャグも全開。通常、十八ホールしかないのがゴルフ場なので、ゼロ番ホールだとか十九番ホールというのは、まあ、ご想像にお任せします。
「何とぞ、ご勘弁のほどを」
 と、道生は頭をかきつつ、やっぱり歳なのかなとため息が出た。昔から自分で言うのも何だが、わりと物事の上達が早い方で、ゴルフもはじめて一年と少しで百は切った。百を叩けば百叩き、百一叩いて百一匹ワンちゃん。百八で今日の除夜の鐘だとか、もっと言うなら百十も叩いて百獣の王だなんて言われるのは、心底嫌だったので、それなりに練習もしてきた。営業職と言えば、うま過ぎる必要もなく、常時九十台で回るくらいが良いとされる。愛すべきスコアは、常に九十台である。
「女の子がいるのも、やはり、嬉しいね」
 部長は鼻の下を伸ばし、道生にそう耳打ちしてきた。
「では、今日はお世話になりました。例の出展の件は、また詰めていきましょう」
 手土産の菓子を渡す帰り際に、部長がそう明言してくれたので、高梨課長もしてやったりの顔をしている。エントランスで彼らを見送ると、
「お疲れ、杉山ちゃん。君の大叩きも、結果オーライだけどさ、罰金の免除はないよ」
 高梨は、容赦ない。
「わかってますよ。明日、ちゃんと反省箱に入れておきますから」
 道生たちの課では、百以上叩くと「反省箱」に千円ずつ罰金を入れる決まりになっている。そのお金で年末の社内ゴルフコンペの景品を出すのだが、サラリーマンが仕事で接待ゴルフをして、下手をすれば自腹を捻出するのだから、踏んだり蹴ったりだ。
「杉山さん、次回はファイトです。よければまたぜひ呼んでくださいね」
 ポニーテールの毛先を揺らしながら、今日の二人のコンパニオンの長身の方の真琴は、微笑んだ。華奢な体で、大きなスイングをする。今日は、まさに理想的なスコア九十ちょうどで回った。案外、本当はもっと上手で、手加減してくれていたのかもしれない。もう一人はショートカットで全身ピンクのウエアだった。彼女は別のチームだったが、道生とどっこいのスコアだったらしい。
「私も、練習しておきます。またよろしくお願いします」
と、写真入りの名刺を皆に配って帰っていった。

 クラブハウスで風呂には入ったが、物足りなさがあり、道生は帰路、一人でサウナに立ち寄った。千葉方面の場合は高速を降りて立ち寄る行きつけで、男臭い老舗サウナだ。カプセルホテルやマッサージ・ルームも附設されていて、利用料金は庶民的。何しろ罰金千円を払うわけだし、安価はありがたい限り。
 しかし内容は、かなり尖っている。まず、サウナ室は二つあり、高温サウナの方は、人がいないと百十度を軽く超えてくる。足の裏が火傷しそうに熱い。水は、地下から汲み上げの滑らかな天然水で、自然の水温のが一つと、三十度のぬるい水風呂がある。名物は、ウィスキングだ。本来はウィスク、白樺の葉を束ねたものを多く用いるそうだが、ここでは、オークの葉が使われる。これで熱せられた肌の表面を、緩急つけて叩いてもらう。一気に肌は赤くなるが、この快感は病みつきになる。叩かれ、湯をかけられ、扇いでもらう。極上の贅沢、ここにあり。
 除夜の鐘分叩いた忸怩たる思いも、消えていく。あの時、なぜバンカーに入れたのか。なぜ、スプーンで打たずにドライバーで打ってしまったのか。パターで外しまくったのは、なぜだ? など今更考えても仕方のないことに、体に絡みつこうとする残像に出ていってもらう。
「調子は、どうですか?」
「もっと強めでお願いします」
 サウナ室でウィスキングされている自分は、誰にも見られず、解放感を得る。Mなんかじゃないんだけど、ちょっと誤解を受けそうな光景なのは間違いない。
 そんな考えも巡るのか、ますます大量の汗の粒が全身から噴き出てくる。そして、ご自身も汗を流しながらウィスキングをしてくれるスタッフくんに感謝である。
 この後は、ご褒美のごとくぬるい水風呂で、ぷかりと浮かぶ。今日は、ここでしばらく浮かんで帰ろう。
 ここにしかない恍惚が、また見つかった。

「参ったよ。練習しないとね」
 体も頭もすっきりしたのだから大人しく帰ればいいのに、車をマンションの駐車場に戻すと、またカオリさんの店にやってきてしまった。こんな時、だから独り身は気楽でいいと感じるわけだが、やっぱり自分は寂しいのだと思う。
 珍しく客がいなかった。
「道生さんって、打ちっぱなしは、どのくらいの頻度で行くんですか?」
 グラスを磨きながら、きりっとした表情で訊ねてくる。何しろこの店は名前が「Bar〈 Di〉」というくらいで、カオリさんは相当ゴルフ好き。好きだけど、バーディは実は一度も取ったことはないレベル、と、本人は客らを和ませてくれる。
「まあ、この頃はサボってたね。ジムに行くようになって余計かな」
「ゴルフの前日のジムは良くないって言いますよね。筋肉痛になって」
「いや、それも言い訳だよ」
 最初の冷たいビールは、ほとんど一気飲みのごとく体に落ちていった。二杯目からはハイボールにしたが、水のごとし。
「カオリさんは、真面目に通ってそうだね」
「私はたぶん、打ちっぱなしが好きなんだと思うんです。打感が、いい時あるじゃないですか。でも、ラウンドじゃあ、あんな打感はまず来ないんです。だから、ラウンドのあとに、そのまま練習場に直行しちゃうこともあります」
「さすがだね、野球の落合監督の名言だけど、上手くなるなら予習じゃなく、復習だ、っていうね」
「道生さんは、今日はサウナ帰りですね? お鼻の先がぴかぴかだもの」
「あたり」
 ピカピカのグラスを磨きながらそう言って微笑むカオリさんの低い声が、心地よかった。
 客が他にいないことは珍しく、甘えていろいろ話してしまう。
「あのさ、今日は接待でね、はじめてゴルフコンパニオンという女性たちを頼んだんだよね」
「それで、気合いが入り過ぎちゃったとか?」
「カオリさんまで、そういうこと言う?」
 道生はもう一杯、ハイボールを頼む。今度は、ダブルにしてもらう。
「うちでは、はじめて頼んだんだけど、まあ、登録している子たちは、コンパニオンと言っても、ていの良いパパ活みたいなものらしいんだ。写真とアベレージスコアが書いてあって、ゴルフのコンパニオンなのに、写真には水着姿の子もいる。インターネットで紹介のサイトを見たとき、ちょっと唖然としたんだよね。中年男に背中から手を取って教えてもらっている動画とかあって。キモーい、とか言ってんの。でも、やってきてみると、二人とも下手じゃないし、快活で、よく気も利くしね。時代なのかなって、俺、年寄りみたいなこと言ってるけど」
「互いのニーズが合えば、それが正解、という時代なんでしょうね」
 カオリも、淡々とどこかで聞き及んだことを話してくれた。様々なマッチング・アプリの中の一つが、ゴルフのパパ活だ。
 若い子たちは、ゴルフはしたくてもお金がかかる。ゴルフに行ったり、クラブを買ったり、練習代だってばかにならない。けれど、そんなことが負担にならない大人たちもいるのは知っている。自分が必死に世の中の構造を上っていくよりも、手っ取り早く近道をしたい。
 実はこの話をわざわざカオリの店にまで引きずったのは、道生には理由があった。
 三十名近く登録されているコンパニオンからの人選は、部下の紗倉に手伝ってもらった。女性の目で選んでもらったのだ。
 見かけ、平均スコア、の他に、特技や趣味も書かれてあった。
 一応、仕事で行くのだから、やや落ち着いた見かけの爽やかそうな二人を選んだ。ショートカットの子を選んだのは道生で、ポニーテールの子を選んだのは、紗倉だ。
「二人とも、よく気が回ってくれそうな人に見えます」
 彼女の目は確かで、まあ、何かと助かったのだが、ゴルフ場が夜のクラブに見えてきたのも確かだった。
 リストを順繰り見ていったとき、紗倉が一人の女性を指差して、
「面白い。こんな子も登録しているんだ」
 と、言った。
〈ベストスコア 138、趣味 サウナ、フルマラソン 特技 開脚前転〉
 どこをどう切り取っても選んではもらえないような紹介を堂々と書いている上、写真もはっきり言って無愛想だ。
 しかし、その子を見た時に、道生は唯一胸が激しく動悸した。
 見覚えがあった。
 半年前、九州のマラソン・イベントの前日に、同じホテルに宿泊していた夕顔だ。自前のサウナハットまで持参していて、道生がホテル名物の無料の夜そばを食べない、と言ったことに、納得がいかなそうに絡んできた。それで、つい夜そばを、付き合ってしまった相手だった。
 風変わりな女性だと思っていたが、翌日、走っている姿を見たときに、素直に応援したくなった。市民ランナーとしては良いタイムをキープして、胸を張って走り抜けていった。
 夕顔みたいな帽子をかぶっていたからそう名付けたが、名は斎藤碧子と言っていた。事実、コンパニオン名も、碧子となっていた。
「私はゴルフのことはわからないですけど、スコア、ダントツに悪いですよね。それで、特技が開脚前転で、趣味がサウナって、面白すぎる」
 紗倉はそう言って、ちょっとばかにしたように笑った。
「趣味がサウナは気が合うけどな」
「杉山さんのパパ活じゃないんですから、だめですよ。この人は、論外」
 と、紗倉によってあっけなくリストから弾かれてしまった。
 しかし、夕顔こと碧子は、なぜあんなところに名を連ねていたのだろう。サウナ上がりの澄んだ肌で、夜そばを美味しそうに食べていたその姿を、改めて思い出してしまう。
 店に客人たちが入りはじめ、道生はグラスをあける。 

 人間の思いは、インターネット越しに透過するかに感じることがある。誰かのフェイスブックを見ていたら連絡があったり、メールボックスの整理をしていたら、その中にいた旧友からメールが届いたりすることが、少なくない。まるでパソコンのこちら側を見られていたような不思議な気持ちになる。
 道生に届いたメールの送り主は、年明けに中本プロントの新社屋でのお披露目で会った、サウナ・ドクターの槙諒子だった。
〈杉山さん
 サウナー仲間の槙です。
 お元気でしょうか?
 実は、インスタグラムにこの間の中本プロントさんでの写真を載せましたら、サウナ・イベントで時々手伝ってもらっている子が、杉山さんを知っているとメールをくれました。
 九州のマラソン・イベントで会ったとか。斎藤碧子さんです。
 彼女は私も感心する、トップ・サウナーの一人です。
 サウナの縁なら、繋いでいくのがプロサウナーの役割。
 サウナで汗を流すのがサウナーで、サウナのために汗を流すのが、プロサウナーです。これ、座布団一枚ね。
 御社に持ちかけてみたい企画もあり、一度三人で、サウナはいかが? 
 私のいるクリニックには、実はサウナ・ルームがあります。ご招待いたします。
槙〉

 いろいろな意味で驚いた。
 碧子がまたここにも現れたということや、碧子と槙が知り合いであるということももちろんだが、槙のようなパワフルな人物が、道生のごとき一介の商社マンを招待してくれるという。
 三人でサウナ、という状況は、想像もつかないが、多忙なドクターからの企画の提案があるなら、簡単に水に流す、汗を流す、もとい、聞き流すことなんてできないはずだった。企画の相談を受けるなら、課長の方がまだましに違いなかった。
 なので、よく考えて、返事をした。

〈槙先生
 あの日の写真がインスタグラムに載っていたとは、知りませんでした。少々緩い体型なので、「サウナー仲間」と言っていただくには、恥ずかしい限りです。
 それから、碧子さんのことは、覚えています。大変印象的なサウナハットで、宿泊先のホテルの廊下を歩いてらしたのです。確かに、先生がお認めになる、素敵なトップ・サウナーですね。
 さて、お招きいただいた件ですが、何か企画をお持ちということで、果たして私にお役に立てるものでしょうか。よろしければ先にその企画を拝見し、思案のお時間を頂戴することはできますか?
                   杉山道生〉

 数日経って、槙からはとても短い返信があった。
〈女の誘いを無下に断らないでちょうだい。
 とにかく、来ること。
 六月七日、十三日、二十日
 いずれかの夜七時はいかが? 槙〉

 まじか、と道生は唖然とする。こういうのを、もし男が書いたら、セクハラと言うのではないのだろうか。いや、今や男でも女でもそうなのではなかったか。

 しかし、そういう経緯で、道生は今表参道のビルにある、秘密めいたサウナ・スペースで汗を流していた。
 両脇には槙と、久しぶりに会う夕顔がそれぞれ水着姿で座っていた。
 階下のフロアはクリニックで、待ち合わせの時間に槙は白衣姿で上がってきた。
「ここ、きっと気に入ってもらえると思うわ」
 茶室のような畳のフロアが、広がっていた。
 香が焚かれている。
 障子もうまく組み込まれている。
 槙は慣れた様子で白衣を壁にかける。
 ソファのあるラウンジコーナー、冷蔵庫やワインセラーがすぐに目に入るが、カウンターの上にはスナック菓子やカップ麺も並んでいる。
「温度も湿度も完璧。お先に、頂戴しました」
 ガウン姿で出てきたのは夕顔で、すでに顔には汗の粒が吹き出していた。
 そこから先は、三人きりの高温ドライサウナで我慢比べのごとく汗を流し、すぐに、隣接するきんきんに冷えた水風呂へ。ここの浴室と浴槽は、檜でできており高級だ。
 こうなったら、もはや遠慮なく汗を流し、すっかり三セットやらせてもらった。
 サウナの後は、ガウン姿のまま三人で次々酒を飲んだ。白ワインだ。
 彼女たちも、いつしか道生を呼び捨てだ。
「道生って、独身なんだってね。ゲイだったりする?」
 槙が、単刀直入に訊いてくる。年に何度もされる質問だから、答えは決まっている。
「残念ながら、ゲイにもモテないんですよ」
 槙は笑い上戸なのか、キャハハッと笑う。ちょっといい笑顔だ。
「道生はモテないだろうな。小さな自分のルールを守って生きてる男ですよ、きっと」
 夜そばに付き合ってやったはずなのに、夕顔は冷ややかだ。
「せっかく、見た目は、ちょっといい男なのにね」
 と、槙が下から見上げてまた笑う。
「ワイン、もう一本開けますよ」
 そう言いながら、道生はワインセラーの酒を物色する。さすがに、垂涎ものの高級ワインが並んでいる。
 槙のクリニックに通う患者たちは、先日の中本プロントの社長をはじめとした、エリートたちだと聞いている。非合法ではないが、日本のガイドラインにはまだ乗ってこない処方を、彼女は躊躇なく行うらしい。例えば糖尿病のために開発された薬を痩せ薬として使ったり、膵炎のための薬を特定のウイルスに対する予防薬としたり試したい人らには、希望があれば処方する。EDの治療薬などを、患者の会社のオフィスに送ってやったりもしているようだ。
 ここも、そうした人たちが集う場なのだろう。ワインは高級だが、これも遠慮なく開けて、皆のグラスに注ぐ。カウンターのスナック菓子を開けて、道生もバリバリ食べた。
 気づけば三人ですでに三本のワインが空いていた。
「みんなモテないのよね、この三人は。っていうか、そういうぶってるところがある」
 と、槙は自分の巻毛に指を絡めながら言った。
「いや、槙さんはそうでもないんじゃないかな。ちょっとモテそうだけど」
 夕顔は、怪訝な顔をする。
「さんは、って何?」
「いや、知らないけどさ」
 よっぽど、あんなゴルフ・コンパニオンなんかやめろと言いたくなったが、自分にそんなことを言う資格は何もない。
 だが、槙の方から言い出した。
「ね、二人のうちどちらかを選んでよ」
「はい? ここはそういう場所なんですか?」
 ソファに向かい合って座る二人が、じりじりと道生を挟んできた。二人の体温に挟まれる。両方の女性の目が、こちらをにやりと見た。

第六話につづく

谷村志穂  TANIMURA SHIHO

1962年北海道札幌市生まれ。北海道大学農学部にて応用動物学を専攻。1990年ノンフィクション『結婚しないかもしれない症候群』がベストセラーとなる。1991年『アクアリウムの鯨』発表し、小説家デビュー。紀行、エッセイ、訳書なども手掛ける。2003年北海道を舞台に描いた『海猫』で第10回島清恋愛文学賞を受賞。作品に『余命』『黒髪』『尋ね人』『ボルケーノ・ホテル』『移植医たち』『セバット・ソング』など。『海猫』は故森田芳光監督により2004年、『余命』は生野慈朗監督により2009年映画化される。最新刊に『半逆光』。